垣根の垣根の百物語

PSP俺屍Rの自分の一族とか某inb氏の一族の話とか ネタバレあります。

柔らかな死

和泉ちゃんとイツ花。虎影逝去後。

 

 

「お気持ち、お察し申し上げます。お力落としのなきよう……」
 あの時の誰かの言葉が耳に遠く、高い屋根にこだました。
 お父さんが亡くなった。最後に戦うみんなを見ておきたいんだ。お父さんはそう言い残して、鬼の待つ城に飛び込んでいった。その時初めて、私はお父さんの戦装束を見たのだった。
 ヤバ吉様は泣いていた。泣きながら、何度も何度も、私に謝ってくれた。弱くてごめんな、って。私には、あんなに強いヤバ吉様がどうしてそんなことを言うのか分からなかった。乱香さんも、清香さんも、なめ悟さんも、ヤバ吉様と同じ顔をしていた。
 私は、泣かなかった。とっても悲しいのに涙が出てこない。いっそ泣いてしまえたら楽なのにと思った。そして、泣いているみんなが羨ましかった。
 今、お父さんの亡骸が目の前にある。そっとその手を握った。予想以上に重い感覚が手を包み、温もりを一方的に奪い去っていく。
 二人で訓練をした日々を思い出す。私にとっては、その時間こそがほとんどすべてだった。こうして音のしない部屋に、ひとり。座しているときなど、静かであればあるほどに、あの時の剣を振るう音、お父さんの息遣いに至るまで鮮明に思い出せる。だというのに。悲しい。つらい。言葉にすることは簡単かもしれない。でも、実際には涙は一滴たりとも零れ落ちることはなかった。
 小さくミシッという音がして、我に返った。すぐに力を緩める。どんなに強く握ろうとも、もはやその手は私の手でじんわりと温まり、その冷たさをすら返してくれなくなっていた。すぐさま、絶望的な沈黙が締め切った部屋を埋めていく。私もこのまま重たい静けさに身を委ねていた方が、いっそ楽なのかもしれない。息苦しくはあるだろう。でも、どうにもならないことをどうにかしようと抗うこともまた、食べたものが逆流するように苦しい。
 考えるのをやめ、体にかかる力を受け流し、倦んだ空気の中にゆっくりと埋める。どれだけの時間が経ったのかはわからない。不意に襖が開いた。音はしなかったけど、すぐに気が付いた。自らの重みを外界に散らすように、空気が流れだしたからだった。
「和泉様」
「イツ花さん……」
 一月もそこにいるから見慣れてはいたけど、その割にいつまでも慣れないお手伝いさんがそこにいた。すぐにその顔をにっこりと歪める。私は、いつも同じ笑みを浮かべる彼女が苦手だった。
「和泉様、私のことはイツ花とお呼びください! さん付けなんてよそよそしくて、ちょっぴり寂しいです」
 うんともすんともつかない曖昧な返事を返す。それでもイツ花さんはめげなかった。
「和泉様、ちょっとお渡ししたいものがあるンですけど……」
 また、うんだかすんが出た。身に覚えがない。イツ花さんはとなりの部屋から、立派な一振りの刀を持ってきた。すぐに、それだと分かった。
 竜神刀。お父さんの愛用の刀。つまり、形見分けだった。
「ああ……それなら、私が自分の部屋に置いておきます。きっとこれからの鍛錬の時にも使うし」
 鍛錬。自分の発した言葉なのに、ひどく他人事のように聞こえた。今の私には、刀をもって鬼に立ち向かうような気概はとても期待できそうにない。そして、そういう時には得てして相手にも伝わってしまうものだ。イツ花さんはすっと視線を刀に落として、鞘を静かに撫でた。元気にしていない彼女を見るのは、初めてのように思えた。
「和泉様。和泉様は、虎影様が亡くなってから、まだ一回も泣いてませんよね。イツ花は、知っています」
「……そう、ですね」
「イツ花と、同じですね」
「え?」
 思わず顔を上げた私が動けない間に、イツ花さんはゆっくりと部屋の中へと踏み入った。そうして、お父さんの手を握っていた私の、すこし冷たくなった指に上から触れた。
「私は、脇下家の悲願達成のその日まで、皆さまの前では泣かないと決めました。ずっとずっと昔のことです。でも、皆さんがこうして悲しんでいるとき、イツ花にもふっと泣きたくなる時があります。でも、それを何回も我慢しているうちに、泣き方がわかんなくなっちゃうこともあるんですよ」
 イツ花さんが、私と同じ。考えたこともなかった。イツ花さんはいつだって、元気に笑って、元気に怒って、私みたいに黙っている子とはまるで違うように思えた。
「でもやっぱり、イツ花思いました。このままだと、心が壊れちゃうって。どこかで泣かないと、絶対にだめなんだろうなって……だからイツ花、たまに一人でこっそり泣いてることがあります。皆さんが討伐に入った後とか、お風呂に入ってる時とか。……秘密ですよ?」
 何も知らなかった。イツ花さんの秘密、というよりも、イツ花さんについて、何も。だから、今彼女がどうして私にそんな秘密を打ち明けてくれるのかも、当然分からなかった。じっとその顔を見る。鼻が少し高めで、整っている。快活な印象とは裏腹に、その眼は存外切れ長で鋭い。そんな事にも初めて気が付いた。そうしてイツ花さんは重ねていた手をどけ、大事そうに両手で竜神刀を抱えた。
「これは、虎影様が生前、何としても和泉様にお渡しする様にイツ花にお言いつけになったものです。和泉様は誰よりもこの刀を扱う素質をお持ちだと、虎影様は話していました。……ところで、僭越ながらイツ花は虎影様について、和泉様の知らない多くのことを存じ上げています。もしよろしければ、聞いてくださいませんか?」
 そうして、イツ花さんはぽつりぽつりと、お父さんのことについて私に教えてくれた。小さい頃は、自分の名を奥義に残すと意気込んでいたこと。綺麗な顔立ちをしていたからか、「ぺろみ」という方に女の子の恰好をさせられそうになっては嫌がっていたこと。そんなぺろみさんの命を奪いつつあった朱点が、彼女と顔を合わせることが無いように、新しい場所への出陣は自分が買って出ていたこと。
 最後に、私も知っていたこと。みんなのことが大好きで、いつもヤバ吉様たちのことを心配していたこと。私も、心配してもらっていたこと。ゆっくりと、時間をかけて話し終わったイツ花さんは、恭しく刀を差し出した。
「この刀には、虎影様の魂が籠っています。イツ花の言葉はおまけに過ぎません。どうか、その手に」
 私にそれを持つ力は本当にあるのだろうか。俄に信じがたい。でも、イツ花さんの眼はこの場から逃げることを絶対に許さないと言わんばかりに鋭く私を突き刺していた。
 手を伸ばす。自分でもわかるくらい、笑ってしまいそうなくらい、手が震える。こんな事は初めてだった。両手を添えて、ゆっくりとその刀に、触れた。
 その刹那。私は確かに、刀の声を聞いた。そして、この刀に込められた力をも、瞬時に理解する事ができた。
 竜神刀。その身の触れたものに眠りを与える刀。それが示す意味は、平和と安寧。何よりも家族のことを心配するお父さんだからこそ、本来は争いなどを好まないお父さんであるからこそ、この刀は使い手として彼を選んだ。その魂は既に不可分のものとなり、激流のような感情が空気を震わせながら私の中に流れ込んでくるのを、ただ私は押し流されぬ様に受け止めるばかりだった。
 感情は私の中でさらに膨らみ、どうにもできないような感覚に襲われた、その時。私の頬を流れる熱に気が付いた。この時の私は、悲しかっただろうか、それとも嬉しかったのだろうか。刀は私の涙を吸い、それと同じだけの温もりを返してくれた。不意に、声が聞こえた気がした。
「あたたかで、柔らかな、眠りをあなたに」
 私は竜神刀を抱きしめたまま、いつしか意識を手放した。

 

 うすぼんやりとした光が部屋に差し込むのに気づいて、私は目を覚ました。障子越しの明るさが、朝を伝えてくる。一晩を不意にしてしまったのか。ゆっくりと体を起こすと、昨晩と同じところにイツ花さんは座って、舟を漕いでいた。
「あの……イツ花さん……」
 揺り動かすとすぐに目を覚ます。そうして、いけない朝ごはんの準備を、と言いながら立ち上がる。いつもの彼女だった。部屋を急いで出ようとするイツ花さんに、後ろから声をかけた。
「昨日は、ありがとうございました」
 彼女は立ち止まったまま、振り返らなかった。何を思っているのか、杳として知れない。
「いえ、いいんです。これも、必要なことですから。……あ、でも」
 こちらを振り返る彼女は、少し気まずそうに笑っていた。
「私がこっそり泣いてるのは、秘密にしてくださいね? あと、イツ花のことはイツ花とお呼びください!」
「……わかった。内緒にするね、イツ花さん」
「もう……二人だけの秘密、です」
「うん」
 イツ花はそのままあわただしく台所に向かって行った。朝餉を食べたら、父を埋めに行かなければならない。私もあまり遅くなるまいと、居間へ向かった。
「おう、遅かったじゃねえか」
「あんまり遅いと、ヤバ吉に朝ごはん全部食べられちゃうよ」
「まあまあ、いいから顔洗っといで」
 居間に入った途端、いくつもの声をかけられた。私はその時、ある事に気が付いた。
「……なんだよ」
 そこにいたなめ悟さんの顔をじっと見る。丸く大きい目、割合に精悍な顔つき、少し低めの鼻。イツ花とは全く似ていない。……でも。
「なんでもない。おはよう、なめ悟兄さん」
「ああ……?」
 みんな、イツ花の笑顔とおんなじ顔をしていた。