垣根の垣根の百物語

PSP俺屍Rの自分の一族とか某inb氏の一族の話とか ネタバレあります。

父の背――1018年 9月

琳太郎・葵・千種による一族初の相翼院討伐。

 

 相翼院は、随分と「鬼の棲家」らしくない場所だった。

 水は澄んでおり、渡されている橋の欄干は朱に塗られている。水に浮かぶように建てられている奥の寝殿は東西に大きく開き、対の屋から伸びる廊がそれぞれに中の島を囲う。今の荒廃した京とは対照的に荘厳な造りをしている。鬼が棲んでいるようにはとても見えない。それどころか、高貴な方が人の目を忍んで暮らしていると言われても納得がいく。昼でも薄暗い白骨城や、妙な術式によって囲まれた鳥居千万宮、近づけば雨風に晒される九重楼とは比べるべくもない。

 しかし裏を返せば、この荒廃した天の下で、本当であれば人が柱や板を求めて訪れてもおかしくない場所だということだ。それにもかかわらず、この御時に不相応な寝殿が美しくあり続けていることこそが、ここが人ならざる者によって占められていることを示していた。

 俺はこの鬼の棲む宮に娘二人を連れていた。あたりからはひっきりなしに水を掻く音が聞こえる。鯉や鮒ではない。女の顔をした魚や、痩せぎすの河童があたりを見回っている。鬼を斬るのが役目の当家といえど、一々雑魚に構ってもいられない。声をひそめ、慎重に奥の殿に向かって歩を進めた。たまに鬼に見つかれば、なるべく周りに気取られないように切り伏せ、少しでも先へ向かう。戦の場になる筈もない寝殿の庭も、こうしてみれば水堀に囲まれた一つの城郭にも見える。細い渡殿では、どうしても鬼の目を搔い潜るのにも骨が折れる。相翼院に着いてから数日、俺たちは進みあぐねていた。

 葵は鬼の気配を知ることに長けていながらも、思い切りがあと一歩足りず、鬼に先手を許すことがある。だから俺が猪一に鬼に切りかかることがどうしても多くなる。葵や千種が真っ先に動いて雑魚を散らすことが出来るならば、本命の鬼に俺が切りかかることもできるだろうが、二人ではやはり心もとないことが多い。葵も力不足を自覚してか、千種に𠮟咤し自らを戒める。その様を見るたびにどうにもふがいない。これは一族の力不足故か、それとも子らを無理に戦場に駆り立てていることの代償か。娘たちを安らぐ家で他の子と同じように生きさせてやることができたなら、どんなにか良かっただろう。

 同じくらいの丈の薙刀を一振りずつ、それぞれに抱える娘たちは、気をつけながらも並んで歩く。二人の背は大きく違うものだから、どうしても小さい千種は薙刀を持っているのだか持たれているのだか分からない。その身に余る武器を持つ千種を連れて行かねばならないのだから、よけいに足取りも重かった。

 そんな中、かの鬼の異変に気付いたのは幸運だったろう。バシャリと音が跳ね、水しぶきを上げて鬼が飛び出してくるのを、中島の岩に隠れてやり過ごそうとした。取り巻きを連れた河童は、それまで襲ってきたものと少々様子が違っていた。藻のように湿った緑の肌をし、老竹にも似たくすんだ色味の甲羅を背負った亀とも人ともつかないその生きものは、歩きながらぎこちなく体を揺らしていた。鋭い爪の生えた水かきでしきりに首を掻きむしる。その鬼は、体色に似合わない鮮やかな赤い首輪をつけていた。それはしとどに濡れてぬらりと輝き、遠目から見れば血に塗れているようにも見えた。

 家で神名録を見ていた時に、イツ花に言われたことがある。心の闇に付け込まれて朱の首輪をつけられ、鬼に姿を変えられた神がいるらしい。もしあれがその朱の首輪であるならば、その呪いから神を助けることができるのかもしれない。

「葵、千種、あの鬼を逃すな」

 小さく二人に声をかける。二人がうなずいたのを確認して、鬼が背中を見せる隙を伺った。そうして、鬼が振り返る間もなく岩陰を飛び出し、何かされる前に斬り捨てる。頭を討たれた取り巻きは泡を食って逃げ出した。斬られた鬼は、ひくひくと体を動かしている。終わってみれば、なんということもなかった。

 横たわる鬼から、恐る恐る首輪を取り上げる。かしゃりと音を立てて外れたそれは赤石でできているように見えたが、持ち上げると存外軽い。輪の内側には文字のあしらいがある。風や土のように術式に使う文字もあったが、非や未など、およそ術式には使われない文字や、読み取れない梵字のようなものがあるのが目に付いた。素養の乏しい俺には何の術式だか全く見当もつかなかったが、首輪というよりは枷のようなものだと思った。
 そんなことをつらつらと考えていると、やたらと気落ちがしてくる。鬼に枷をつけている朱点と、子に枷をつけて戦場へと駆り立てる俺と、何が違うというのだろうか。いつか通ったような、厭な思考の道筋が再び去来した。これで子が救われるのならばその甲斐もあるだろうが、お蛍が言っていたように、俺や子供が生きているうちに朱点を倒すことなど誰からも期待されていない。子らを死出の旅に縛り付けている俺がどの口で朱点を倒すというのか、今になって不思議に思えてくる。

 その時、手元でバチリと音がして、持っていた首輪が弾き飛ばされた。俄に指輪が光り出したかと思うと、それが首輪を押しのけたのだ。はっとして見ると、指輪はまだ光り続けている。それを葵や千種が不思議そうに眺めている。思わず二、三歩後ずさった。

「二人とも、あの首輪には俺が触るから、二人は触るんじゃないぞ」と注意をして、恐る恐る巾着に首輪を突っ込んだ。神を封じ込める枷であるならば、禍々しい呪術の類も使われているだろう。先ほどの心持ちの陰りも、もしかするとこれの仕業かもしれない。今のことを考えると、俺には父上の指輪があるからよいということになるが、子らが触れればどうなるか知れない。

「お父さん」

 葵に声を掛けられた。いつの間に葵が袖口を掴んでいる。葵が指さす方を見ると、斃したはずの鬼が動き出した。俺はとっさに二人の前に出て剣を構えた。そうしている間に、鬼の体に変化が訪れた。血色のない鬼の胴が、光沢を持った青磁のような色へ変わる。落ち窪んだ目が、大きく微睡むような輝きを持つ。骨と皮ばかりのごつごつとして痩せたからだが、生きものの丸みを帯びた体型に変わって、鬼だったものは立ち上がった。

「いやあ……どっこいしょっと」

 刀を構えた俺に全く頓着なく、体をぺたぺたと触る。先ほどの刀傷は影も形もない。

「うん、大丈夫だ」と言って、丸い蛙はこちらを見た。

「おや、あんたぁ、お輪の子だね。あんたらがおいらを助けてくれたんだね、よかったよぉ」

「どういう、ことだ」

 俺の問いかけは、随分と間の抜けた声になった。

「おいらぁ、白波河太郎だ。うっかり天界から落ちちまったもんでよぉ、朱点につかまって鬼にされっちゃったんだわなぁ。ありがとなぁ」

「……え、ということは、神様ってこと……?」

 葵がおずおずと聞く。俺ははっとして刀を下ろした。

「そうだよ、まあこんなんだけどな」

「天上の方にこのような真似を、大変失礼いたしました……!」

 一も二も無く頭を下げる。しかし、河太郎様は鷹揚に手を振った。

「いいんだよぉ、助けてくれたっからねぇ。下界にはおいらみたいに首輪つけられて鬼の体に押し込められてんのもいるからねぇ、見つけたら助けてやってくれよぉ」

 そう言うと、河太郎様は手に持った蓮の葉をくるりと回して何事か呟く。途端にあたりの水が吹き上がり、柱を作った。それに河太郎様はぴょんと飛び乗る。

「じゃ、お業によろしくなぁ」と河太郎様が言うや否や、水柱は吹き上がり、かの神を天上へと運んでいった。

 後には降り注ぐ水飛沫があるだけで、俺たちはまるで阿呆のようにそれを見上げるほかなかった。

「……なんか、すごい神様だったね」

 千種が誰にともなくつぶやく。俺も神名録を何度か眺めたことはあったが、あのような神をみるのは初めてだった。

「神様って色々いるんだね」と葵が言う。

「まあでも、みんな力を持った神様たちだからね。俺たちもできるだけ助けて差し上げないといけない」

「でもあの神様、お父さんよりかっこよくないからお姉ちゃんとは交神できないね」

「わ、千種ってば、もう……」

「あのねえ、お姉ちゃんと千種ね、お父さんよりかっこいい人と交神するんだよ」

「言わなくっていいんだってば……あんまり気にしないでね、お父さん。私、分かってるつもりだから」

 他愛ない娘の会話を聞いて、改めて葵の交神という一事が当家の問題として差し迫っているのを感じる。先ほども然り、前にも考えたようなことを最近はどうもぐるぐると考えているようだ。葵は分かっていると言うが、本人も好きでそのようなことを言うわけではないだろう。河童の神が悪いわけではないだろうが、母やお蛍、くららを見てきた葵にとっては異質に思えるのも無理はない。

 神と交わり呪いの子を成す業をこの子たちの細腕に任せるとするならば、その時俺はこの家に恐らくはいないのだ。重荷を背負ったこの子らを誰が守ってやれるだろうか。イツ花にはもちろん任せられない。梵天丸がもう少し大きければそれも良いだろうが、まだあの子は生まれたばかりなのだ。

 この月、我が家には俺とくららの子がやってきた。双子が来ることを二人には伝えていなかったので、葵と千種は随分驚き、そして喜んだ。男女の双子は、顔つきからも様子からも、あまり似てはいなかった。艶のある茶色がかった髪をした姉には山茶花と名をつけた。山茶花とはこれからの季節、秋や冬に咲く花の名であるらしい。この先のことをよく見通す、縁起の良い名だと思った。山茶花は、まだ小さいのにどこか遠くを見て、何事か考えていることがよくあるようで、呼びかけても返事をしないことがある。最初は頼りないように思ったものだが、よくものを訊ねる子で、風がどうして吹くのかだの、どうして空は青いのかだの、俺も考えたことがあまりないような世の理めいたことを聞く。話してみればすぐに利発な子だと知れた。臨機応変に鬼を狙える弓矢を握らせるのが、もっともよかろうと思った。

 弟の梵天丸は、それに比べると随分と分かりやすい子である。雨が降れば外を駆け回るし、すぐ腹が減るし、疲れれば寝る。千種などは姉になったことが大変うれしいようで、腹ペコ虫などとあだ名をつけて揶揄っていた。無闇に重荷を背負わせるのは望むところではないし、生来の気質から考えれば不安も少なからずあったが、この梵天丸が当家を持ち上げないことには先行きも難しいので、鬼から奪った剣を早いうちから握らせることにした。幸いにして素直な子なので、山茶花と家に二人残してきていても、イツ花の言うことを聞いてしっかり鍛錬を積んではくれるはずだ。この子が大きくなるまで、俺の命が何とか持てばよいのだが。自分の子供たちの顔が曇るようなことだけは、何ごとにつけ避けられなければならない。悲願の為のみならず、家族の為にも少しでも長く生きねばならないことを重ねて思った。

 


  ・

 


 鬼の討伐は引き際が肝心だと、イツ花からは口を酸っぱくして言われている。しかし、討伐自体そもそも危険が伴うものなので、いつまでも先に進めないようでは意味がない。だから、イツ花の言う引き際というものは早くても遅くてもまずい。

 その意味で言えば、この月の相翼院討伐は引き際を少々踏み越えていたと言えるかもしれない。戦果は上々だった。鬼が持っている巻物を奪ったのは、初めてのことだった。家にある書物と言えば、刀や薙刀、弓の使い方を記した書物があるほかは、父と母の残した巻物があるのみだった。俺にも、娘たちにも、学があるとはとても言えない。術を学ぶのであれば早ければ早いほど望ましいはずのものである。「白浪ノ次第」と記されたその巻物は、先に見た神が作ったものであるのかも知れない。水に濡れてはいけないと慎重に懐に入れた書が、これの他にもう一つも手に入った。

 だからだろう、これ以上進もう、あともう少しという欲が湧いたのだ。そろそろ月も細ろうという中で、河童の鬼がうろつく中庭を抜け、俺たちは寝殿に踏み入った。外とは場の空気が大きく変じたことはすぐに知れた。先月に姉からもらった薙刀を振り振り歩く千種は、半ば浮かれているのか変化に気づかない。葵がそれをすぐにたしなめた。
そこで見た鬼は、今までの河童とは大きく異なっていた。俺たちの背丈を優に超え、十尺はあるかと疑われる姿に、背丈と同じほどの刺又を携えている。ぎらぎらと輝く翡翠の瞳でこちらをねめつけ、燃えんばかりの髪を振り乱す。そのような巨大な体をしていながら、まるで天女の羽衣でも身に着けているかのように、自在に空を飛んでいた。

 一歩先んじて、葵が鬼に切りかかる。しかし、その鬼は動じた風もない。にいと笑って、その大きな得物を振りかぶった。横薙ぎにされた一撃で、葵の体が飛んだ。体勢を立て直した葵に構わず、その鬼は何事かを唱えだす。それに気づいてか否か、血の唾を吐いて葵は再びとびかかろうとしていた。まずい。

 とっさに、左手を握り込んだ。中指の指輪がその存在を主張する。

「この呪われし身と一族の祖、真垣源太様に当主琳太郎の名において申し上げる。今一度常世より降りたもうて、我が一族とその未来を切り開き給え」

 指輪を介して父より借り受けている力が、わが身を通して形をとる。まるで父が現世に降り立ったかのように、あるいは異な呪術にその身を窶したかのように、軍神と化した父の姿を俺は幻視した。かつて夢に見た父に倣って刀を振りかぶる。風が騒ぎ、鬼どもがまるで豆粒かと思えるほどにずいずいと小さくなってゆく。この広大な相翼院ですらも全く足りぬほどになったわが身が鬼どもを見下ろす。すべてを見通し、薙ぎ払えるように思えてくる。まるで不世出の豪傑が刀を振るったかの如く、俺の実際的の力とは比較にもならない手ごたえとともに、鬼は真っ二つに裂け果てた。

 気づけばこの身はいつもの五尺六寸に戻っていた。怪我をした葵の方を見ると、既に千種に支えられて立っている。既に丸薬を含んで身を休めていた。

「危なかったな……あれは随分俺たちよりも上手のようだ」

「うん……やるにしても、しっかりかんがえてやらないといけなかったね」

 月も欠けつつある中、帰り際に欲を張ったことも、今闘うべきでない相手に出会ったことも明白だった。これで父上が生きていたならば力も借りられようが、身一つで武具の扱い方を探ってきた俺たちにとってはこの命しか頼る物がない。本当に、父上がいてくれたならば。

「葵、千種、命は何より大事にしなさい。お前らが笑っていてくれるだけで、俺は幸せなんだから」

 俺は、そう二人に念を押した。そして、父上の力を借りねば二人を守れなかった自らを厭うた。

「うん……ありがとう」

「千種も、そうだよ」

 そう言ってくれる二人の言葉が、何よりも救いだった。