垣根の垣根の百物語

PSP俺屍Rの自分の一族とか某inb氏の一族の話とか ネタバレあります。

葵と、家族 ——1018年 4月

琳太郎、葵出陣。鳥居千万宮。その後。

 

 「……葵。来月は、交神に行こうと思う」
 あの恐ろしい参道から戻ってきて、ほとんど数日もたたないある日。お父さんは、私にそう告げた。未だ戦利品の整理も終わっておらず、人数も足りない我が家では、一家総出で携帯袋の中身を品定めしていた。そう、一家総出。私と、お父さんと、イツ花さん。内緒話も何もないような、小さな部屋でのこと。イツ花さんはお父さんの言葉を聞くと、にっこり笑って腕まくりをし始めた。
 「いよいよ、イツ花の出番がやって参りましたねェ。交神の儀におきましては、イツ花も真面目な顔で舞を躍らせていただきます」
 「楽しそう。イツ花さん、綺麗な格好に着替えるの?」
 「ええ。あれはイツ花の一張羅です。生活にも苦しい今日この頃の真垣家ではございますが……イツ花も末席ながら神に仕える身。この時ばかりは、少しいいものを身に着けていても、お目こぼしくださいね」
 「そんな事思ってないよ! イツ花さんの舞、今から楽しみにしてるね」
 コウシン。交神、というらしいけど。神様と会える。イツ花さんの舞が見れる。何か不思議なことが起こるらしい、ということだけは分かっている。私も交神によって生まれたらしい、けど、その時はうちには誰もいなかったし、何もなかった。お母さんのもとを離れて、家に来て。ただ、イツ花さんと二人で「お父上」が家に来るのを待つ日々が続いた。神様のお使い様に渡された少しのものを食べて、私達はじっと待っていた。お父さんは、ほどなくして私の前に現れた。少しのためらいの後、すと差し出された手。―—私が君の父さんだよ。よろしくな、葵。
 その言葉を受けた時から、お父さんとイツ花さんの二人が、私を取り巻く世界のほぼすべてだった。
 それが今、変わろうとしている。交神とは、子を成す儀式。お母さんと、お父さんと、私と、イツ花さん。その他に、もう一人が増えるということ。随分と不思議な感じがする。ちょっと浮かれるような感じもする。まだ儀式が始まってもいないのに、この部屋にもう一人いるような景色を想像してみた。いきなり部屋が狭くなるような気がして、その影に少しだけ近づいてみる。二人の距離が縮まって、また少しだけ部屋が広くなったように感じた。私に甘えてくれるといいな、と思った。
 「ところで、琳太郎様。交神のお相手なんですけど、もうお決まりですか?」
 「……ああ、まだ決めていないんだ。如何せん神様のお顔もお力も、わからなくて」
 「心配ご無用。ちゃーんと神名録は蔵の中にしまってあります。取りに行ってきますンで、少々お待ちくださーい!」
 すたたた、と奥に駆けていくイツ花さん。私は、えっ、という言葉をなんとか噛み殺した。

 お父さんが、お母さんと交神をする。

 あまりにも当たり前のこととして、私は一切の疑いを持っていなかった。お母さんと、お父さんと、私と、イツ花さん。女の子が来ても、男の子が来ても、この四人の関係は変わらないのだとばかり思っていた。きっとお父さんも、私の喜びと歓迎が、まだ見ぬ子に対してのみのものだということには気づいていたはず。
 二人、部屋に残される。足音も遠くなって、静かな時間が訪れる。小さな部屋の中、お父さんの座っている場所が、随分と遠い。お父さんが視線をゆっくりと下ろす。
 「……あのな、葵。お父さんの交神相手のことなんだけど」
 「うん」
 「実は、もうお母さんと交神はしないつもりでいるんだ」
 「……どうして?」
 「いろんな神様と交神すると、色々な素質を持った子が生まれる。俺は、その可能性を出来るだけ多く残さなきゃいけない。……ただ、自分の為に」
 呟いて、お父さんは悲しそうな顔で私を見た。いや、本当に私を見たのかすらわからない。
 お父さんはいつも優しい。いつだって私のことを第一に考えてくれるし、出来るだけ一緒の時間を増やしてくれる。私がわがままを言ってしまった時でも、優しく頭をなでてくれる。私が笑うと、お父さんも一緒に笑ってくれる。私は、そんなお父さんが大好きだ。
 でも、そんなお父さんが、時々すごく悲しそうな顔をすることがある。私が声をかけるとすぐにいつもの笑顔になってくれる。そんな時、お父さんは決まって私のことをじっと見ている。ただ、私がお父さんのことをじっと見ていても、その深い眼を覗き込んでさえいても、決して覗き返してはくれないのだ。
 私が初めて薙刀の型をお父さんに見せたときも。
 初めての出陣を控えて、イツ花さんに向かって二人で手を振っていた時も。
 先月、鳥居の立ち並ぶ参道で鬼を斬っては、隙を見て体を休めていた時も。
 ……私に初めて手を差し伸べてくれた、あの時も。
 そして今、お父さんはその時とそっくり同じ目をしている。ただいつもと違うのは、はっきり私の眼を見据えている、ということ。お父さんが私の眼を見て話すとき、それはお父さんの中で全部が決まっているとき。もっと言うと、そのことで私を傷つけないようにしてくれているときだ。そんな時、私はお父さんの邪魔はできないんだ。
 「葵。済まない。俺は、これからも交神をするつもりだ。そのたび、違う神様にお願いをするだろう。俺は俺と、父母の無念の為に、俺と同じ呪いを持った子を得ようとしている」
 「うん」
 「済まない」
 お父さんはそれ以上何も言わない。ただじっと、私の言葉を待っている。だからこそ、言わずにはいられなかった。ぐっと目の前の畳に手をついて、お父さんの方へと体を寄せる。
 「ねえ、お父さん。あのね?」
 「ああ」
 「私、お父さんのこと、大好きだよ」
 「……ああ」
 「きっと、次にうちに来る子も、お父さんのこと大好きだよ。呪いがあっても。何があっても。だから、そんな風に言わないで」
 「……分かった。もう言わないよ、ごめんな」
 お父さんの手が私の髪を梳る。お父さんの手は少しごつごつしてるけど、暖かくて優しいにおいがする。お母さんのにおいとは、全然違うにおい。でも、少しだけ似ているような気もする。お母さんとお父さんが似ていて、一緒だったら私はうれしい。でも、新しく来る子はどうだろう。その子もきっと、私と同じ気持ちになるんじゃないだろうか。
 「ねえ、でも、お父さん。一つだけ教えて。とっても、とっても大事なこと」
 「なあに」
 「お父さん、お母さんのこと、好き?」
 「ああ。もちろん、大好きだよ」
 「じゃあ、今度の女神さまも、その次も、その次も、ずっとその次の女神さまも、お母さんみたいに好きになる?」
 そういうと、お父さんはびっくりした顔をして、それでも真面目に答えてくれる。
 「……ああ。そのつもりだ」
 お父さんは真面目な人。その言葉は、じっと暖かく心にしみてしまう。そんなときが、私は一番好きだった。
 「じゃあ、いいよ。お父さんが、また別の女神さまと交神しても」
 「いいって、いいのか? でも……」
 「いいの。だって、私に家族が増えるんだよ。またもう一人のお母さんと、妹か、弟。二人も大切な人が増えるのって、とっても素敵なことよね」
 「……そっか」
 ようやく、お父さんが笑ってくれた。私はそれだけで、何だか嬉しくなってしまう。お父さんの袖をつかんで、懐に飛び込んだ。
 「お父さんは、男の子と女の子、どっちがいい?」
 「そう、だなあ。男の子かなあ……」
 「そうなんだ。女の子なのかと思ってた」
 「どうして?」
 「だって、聞いたことあるもの。何人もの女の人と仲良くするのを、『おんなたらし』っていうんでしょう? お父さん、おんなたらしじゃないの?」
 「そ、そういうのじゃない、と思うけど……というかどこでそんな言葉を覚えたんだ」
 お父さんは見るからに焦ってて、なんだかとっても嬉しい。ずっとこんな時間が続けばいいのに、そう思う。でも、まだ見ぬ弟や妹を、この上なく楽しみにしている自分も、また事実だった。
 ……ああ、早く交神が終わればいいのに。妹かな、弟かな。悩みを共有したくて、顔を上げる。ちょうど、その時。私がそれを見られたのは、全くの偶然だった。
 「琳太郎様、お待たせしました。これが神様のお名前と、お力と、それからお顔の一覧です。可愛い女神さまも、たくさんいらっしゃいますよ」
 戻ってきたイツ花さんの手に握られた神名録を見るお父さんの眼は、さっきよりずっと嬉しそうで、安心した顔をしていて。
 
 でもやっぱり少し、悲しそうだった。