垣根の垣根の百物語

PSP俺屍Rの自分の一族とか某inb氏の一族の話とか ネタバレあります。

大人とこども――1018年 8月

元服。琳太郎と葵での白骨城出陣。

 

 

 暑い朝、食卓に並んだ胡瓜の漬物をかじっていると、イツ花が一つ、手を打った。

「大変!すっかり忘れてました!」

 狭い家の狭い食卓の注目が一点に集まる。いそいそと立ち上がり、戸口のすぐそばにある棚から戻ってきたイツ花の手には木簡が一枚握られていた。

「それは?」
「お触れ書きの写しです。朱点童子公式討伐隊の選考試合をお開きになるので、有志の者は参加するように、とのことで」
「なにも食事中に取りに行かなくても」
「いいえ、イツ花は自慢じゃありませんが、忘れっぽさには自信がたっぷりです! 今お伝えしないで、言い忘れちゃうと困りますから」
「そんな自信満々に……」

 ため息をついてみせてちらりと見ても、イツ花は全く気にする風がない。神の使いをしているだけあってか、それとも生来のものなのか、随分と図太いものだと思う。

「せんこうじあい、って何?」

 千種が目を丸くして聞く。隣では葵もじっとこちらを見ている。二人ともが私の答えを待っているようだったが、生憎のところ俺も二人より特別長く生きているわけではない。この数ヶ月がいかに短い時間であるかは、京の都を歩くごとに十分に実感していった。京の街は一月経っても、顔ぶれも景色も変わらない。変わるのは草木と虫ばかりだ。

「選考試合というのは恐らく、朱点を討伐する見込みのある者たちをご支援なさるための会だろう。有志のもの同士で組手を行って、最も強いものをお決めになるんだ」
「どういうこと……?朱点をやっつけるのは、千種たち、あ、えっと、私たちじゃないの?」
「他にも京には強い人たちがいて、朱点を倒そうと頑張ってるってことだよ」
「えーーー! そんなの、お父さんがみんなやっつけちゃえばいいんだよ」

 そう言うと、千種は立ち上がって薙刀を振るような構えを見せる。葵がそれを優しく止めた。葵も姉が板についてきたようで、最近は随分と積極的に千種に構っているようだ。俺も俺で、ついつい葵に色々な事を任せてしまっている。家に来たばかりの頃と比べれば、千種も随分とよくしゃべるようになったし、騒がしくなった。それも葵が千種の笑顔を引き出していることが大きいだろう。

「それで、どうなさいます?」
「……いや、今年はよしておこう」
「え、出ないの? なんで?」
「まあ、いくつか理由はあるんだ。一つには、恐らく今年出ても優勝するのは難しいだろう」
「私たち……勝てないの?」と葵が聞く。
「ああ。俺たちの家はまだ始まったばかりで、戦えるのは二人だけだ。力も無いし、武具もそんなに優れたものは集まっていない。ここは力をためて、もし来年同じものがあったらその時にみんなで出た方がいいと思う」
「来年……ずっと先だね」
「ああ、ずっと先だ。その間にできることはたくさんあるから、俺たちもきっと強くなってるさ」

 その方が、葵や千種のためにも、まだ見ぬ子らのためにも、きっといいだろうと思った。

「もう一つは何?」
「ああ、しばらく前から京の近くに現れているらしい城に行ってみたいんだ」

 白骨城。行商人から聞いたその名は、果たしてその城の本当の名なのか定かではない。もとは別の名があったのかも知れない。ただ、白い骨がうずたかく積み上がってできている姿から、見たものの間ではそう呼ばれているのだという。

「この前、八百屋のダケさんも噂してました! 夏になってここンところ、京の東に鬼が多く出るようになったって」
「うん、間違いなくその城の影響だろう」
「そこに行くの?」と、葵が少し不安そうに聞いた。
「そう。急に現れたということは、また急に消えるかもしれないということだ。どんな場所か確認しておいて損はないからね」
「私も行く!」
「千種はまだよ。今月いっぱいまでは、家で修業しないとね」
「えー、行きたいよお」
「もうちょっと大きくなってから」
「早く大きくなりたい!」
「すぐだから」

 千種は葵の言葉にまだ納得しきらない様子で、今度は俺の方を見た。

「お姉ちゃんは、行っちゃうの?」
「まあ、そうだな。今月はすまない、千種は家に残ってくれ」
「一人……?」

 途端に千種は寂しそうな顔をする。葵になついているのは良いが、その分一人の日はよほど不安なようだった。

「一人じゃないですよォ。イツ花のことも忘れないでくださいネ」

 そんな千種の思いを察してか、元気にイツ花が声を張り上げた。千種が少し笑った。

「では今月は、白骨城へのご出陣ですね。千種様、二人で当主様たちのご武運をバーンとォ! 祈りましょう!」
「うん! バーン!!」

 万歳をする千種を見れば、どんな鬼にも負ける気がしないように思った。
 食事を終えて、出陣のために武具の手入れをしていると、イツ花がやってきてすぐ隣に腰を下ろした。

「今月は葵様の元服です。前にご相談した通り、白骨城からお帰りになったら儀を行いますので、ご承知おき下さい」
「そうだな……元服、というのもうちにとっては初めてだ」
「お着物の準備は、イツ花にお任せください!」
「戦利品もそんなに集まっていないのに……大丈夫か?」
「せっかくの機会ですから! 何とか探してみますが……蔵の武具を少し売りに出しても……?」
「使っているものでなければ、構わないよ」
「あっりがとうございます!それと、葵様の交神のことについてもお考えに入れておいてくださいね」

 元服、とは言うものの、京にいる他の者のように齢にして十を越えてから行うような儀式ではない。第一、我々は十も生きられぬらしいのだ。葵が天界から降りて、そろそろ八ヶ月になる。真垣の家での元服が八ヶ月の節目に行われるのは、あくまで俺とイツ花がそのように取り決めただけのことであり、それはまさに葵の成長を見て、つい二ヶ月前に決まったことだった。今後の一族にどのようなことがあろうと、交神をするのは八ヶ月以上の者に限ること。そして交神ができるようになったものには元服の儀を行い、以降は一人の成人として接すること。これは、一つには今後の子らの成長を見つつ決めることを踏まえた仮の期間であり、もう一つにはここまで大きくなってくれた葵への祝いであった。
 交神をする、ということは、あの揺蕩う世界で神と触れ合うということだ。イツ花の曰く、神はどの方も一筋縄ではいかない人格の持ち主だという。せめて一人の人間としての立派な判断ができるようになってからでなくては、神のもとに子を送るというのは気が引けた。
 不意に、イツ花がそっと声をひそめて、

「葵様はああ見えてというか、当然というか、面食いの方でいらっしゃいますから、素敵な男神様をお選び下さいましね」と囁いた。
「面食い……? なんだ、葵はそんなことを気にするのか」
「そんなことと言いましても、それはもう琳太郎様のお子ですから」
「俺が、その、なんだ。女たらしだと、イツ花も思うのか」
「アッハハハハ。そうじゃありませんけど」

 イツ花は立ち上がって笑いながら、先ほどからちらちらとこちらを窺っていた葵の方へ向かっていった。見ると、少し顔を赤くして目を逸らした。葵もませた年頃かと思いかけたが、これも一人前になるということなのだろう。年相応に自分の身の上を気にしだした葵には、せめてできる限りの幸せがあると良いと思った。
 しかし、どうにも、葵が交神をすることには、実感というものがもてないのであった。自分に孫ができるという実感ももちろんないが、それ以上に俺と同じように葵が神と触れ合うというただ一面の事実が俺には想像しがたかったのだ。交神をするというだけでもこのようなのだから、自分がその相手を選ぶというのは、なおさらにそう思えた。


   ・


 白骨城は、果たして旅の者たちの噂通り、そうとしか言いようのない城であった。土塁も無く、無造作に原野の中にポツンと建てられたそれを臨めば、城は鈍く濁った白い城壁を光らせ、歪な造型を月下に晒した。節々が膨らみ曲がった城郭は、遠目から見ても間違いなく骨でできており、人がここに登ることが出来るようにはとても思われなかった。城は悲鳴を響かせるように時折ギイギイと音を立てた。風に揺れるのだろうか、それは新たな骨を欲するようだった。
 城を目指して鬼を切り伏せながら原野を進む中、いち早く変化を察したのは葵だった。もう三度目の出陣ともなれば俺も葵も小慣れてくる。ここにきて何日目かの夜をなんとか明かした朝、葵が不意にその姿勢を低く下げて耳を澄ませるように黙った。

「お父さん、鬼たちの動きが騒がしい」

 俺にはよくわからなかったが、しばらくしてもっと目に見える形で変化を実感した。確かに目の前の鬼たちの動きが素早い。そうして、しかも、何匹かの鬼を切り伏せて見れば、持っている宝物が上等なものになっているように感じられたのだ。いままでの鬼が小銭や丸薬を持つばかりであったことを思い返せば、目の前の武具は我々から見れば重要な資金だと言えた。

「なんで今日はこんな……たまたまなのかな」
「いや……鬼たちがあわただしいのは、こうした宝を持っているからかもしれないな」
「それって、今日頑張れば宝物がいっぱい取れるかもしれない、ってこと……?」
「分からない。しかし、今日気合を入れる価値はあるかもしれないな」
「そしたら私、もっといい武具を鬼が持っていないか探したい」
「今のものは良くなかったか?」
「ううん。そういうわけじゃないの」

 ぎゅっと薙刀を握る葵の足取りは、いつになくせわしないように思えた。
 あっという間の一日が終わり、そしてまたその月の討伐もすぐに終わる。振り返ってみれば、真垣家始まって以来の大戦果と呼べるような代物がそこにはあった。術の巻物が二本も手に入り、上等な薙刀も見つけた。その他、鉢金や刀も鬼から奪うことができた。これも白骨城の骨の主が落としていったものかもしれないが、今は彼らを弔っている余裕すらない。俺たちが力をつける足掛かりにするためにも、有難く拝借をした。

「ねえ、お父さん」
「どうした」
「今月、すっごくよかったね」
「そうだなあ。あの城は少ししか調べられなかったけど……」
「お父さんも鬼をいっぱい探してたもんね」
「今はお金がないからなあ」

 こうしてみると、自分と鬼との区別がひどく曖昧なように思えてくる。城を調べるという目的がいつの間にか鬼を殺して宝物を奪うことにすげ変わっていたことを考えるのは、自分も鬼と変わらないことをまざまざと示されているようで、あまりいい心持ちではなかった。
 そのまま二人で帰途についたが、随分と大荷物になって、同じ道を歩くにも時間がかかる。こうした武具は家に帰ればあらかた金に換えてしまうのだが、葵がその中にある一振りの薙刀を珍しそうに眺めていた。それにはほとんど装飾といったものがなく、抜き身の白刃が月明かりに反射してすらりと光る。無骨だが、どこか涼やかな印象を受ける。振り回す実用性のみを重視して作られたのであろうそれは、この荒れた世相をよく映していると言えるかもしれない。

「葵、その薙刀がどうかしたのか」
「……うん、これ、今使ってるのにちょっと似ているなって思って」
「そうか? 造りも全然違うようにみえるけど」
「ううん、そうじゃないの。なんだか持っていると、不思議な感じがする。体にかかる風を強く感じる気がするの」
「俺には薙刀のことはよく分からないが、葵が使っていて感じるならば、確かだろう。どうだ、今使っているものよりもいいものか」
「そうかもしれない。きっといい薙刀だと思う。……ねえお父さん、これ、千種にあげてもいい?」
「そりゃいいが、お前は使わないのか? どっちがいいものかなんて、使ってみないとわからないだろうに」
「こっちの方がよくっても、いいの。千種にあげたいの」
「それなら、お前に任せるよ」
「ありがとう」

 葵は黙った。そうして、顔をあげてはうつむいた。葵は普段から気の行き届いた子だったが、あまり歯切れの悪い話し方をする子ではなかった。だから、そうしてためらうのは珍しいことだと思った。

「あのね、お父さん。おうちに帰ったら私、大人になるんだよね」とうとう葵は、俺の方をじっと見て言った。
「ああ、そうだ。イツ花が準備をして待ってくれているよ」
「千種が大人になるのは、いつごろ?」
「そうだなあ……葵と同じくらいだと考えると、来年の3月になるか」
「それだと、千種もお姉ちゃんになってだいぶ経っちゃうね」
「まあ、千種は初陣もまだだからな」
「お父さん。大人になるって、よくわかんないよ。千種が来た時も、そうだったけど」
「まあ、そうかもなあ。俺は天界にいたから、家族と一緒に大人になったわけではない。葵の気持ちは分からないかもしれないな」
「千種が来て、お姉ちゃんになって、元服して、どんどん変わってっちゃうね」
「変わっていくのは、いやか?」

 俺はふと、葵に変わりゆくことを嫌がって欲しいように思った。俺自身が変わっていくことを恐れているわけではないだろうに。そうでなければ、こうして出陣と交神を繰り返したりなどはしない。しかしこの時ばかりは、どうしてかそう思えたのだ。
 しかし葵は、首を横に振った。

「ううん。大丈夫。私には、お父さんと二人で過ごした時間が沢山あるからね。いつでも思い出せるから、大丈夫なんだ」

 俺は、そうした我が子を血腥い戦場に連れていくことに、改めて嫌悪を覚えた。そうしてまた、葵や千種が子供でいられる時間が少しでも長くなるように、生きねばならないとも思った。戦場に送り出すごとに、また交神に送り出すことがあるならばそのたびごとに、我が子の命を他ならぬ俺自身が奪っているという疑うべからざる真実を実感した。そして、何か、白い花を血で染め上げるような、怖気の走るような行いを自分がしているようにも思えた。
 そんな私の心中も知らず、葵は新しい薙刀を手に笑っていた。俺は葵に心配をかけぬよう、笑って過ごすことにした。
 葵の交神相手のことなどは、まるで頭の中から外れていた。