垣根の垣根の百物語

PSP俺屍Rの自分の一族とか某inb氏の一族の話とか ネタバレあります。

煙雨——1018年 6月

琳太郎と葵。九重楼出陣。

 

 

 視界が煙る。行けども行けども坂があるばかり。右から来たか、左から来たかも怪しい。

 と、突然目の前になにかの影がちらついた。ほぼ反射的に刀を振る。どさりと嫌な音を立てて倒れ伏したそれは、果たして鬼であった。
 このようなことを何度も繰り返していては、そのうちに人を斬ってしまいそうに思える。しかし、相手が本当に鬼かをいちいちのんびりと確認していては、命がいくつあっても足りないのだ。

「お父さん……」

 後から不安そうに葵が声をかけてくる。言わんとすることは分かる。笑顔を作って、彼女の頭に手を置いた。無論、あたりへの警戒は張り巡らせたままで。

 ここに来てから、もうだいぶ経つ。だというのに我々は、本丸の建物にも入る事が出来ていないのだ。
 九重楼の近くは、決まって雨風が強くなるという。あのお使いさんの話しぶりからすれば、火と風を操る神に縁のある場所らしい。そういえばイツ花も、ここには神がいるとかなんとか言っていた気もする。
 だとするならば、今の俺はその神の力が漏れ出したような、ほんの小さな力で押し返されているようなものなのかもしれない。雨風を凌げる場所でなんとか野営を作っては寝る。そんなことを繰り返している上に雨はちっとも収まらないものだから、本当に今が昼間なのかも怪しく思えてくる。夜ということはないにしても、夕方か、あるいは朝方なのか、さっぱりわからないのだ。ただ、暗くなる前に少しでも歩を進めるしかない。何とかあの建物に辿り着きさえすれば、迷うこともなくなるだろうに。

 先程切り伏せた鬼の死体に近寄り、宝物を持ってはいないかと身を改める。出てきたのは僅かばかりの銭と、どこででも得られるような小さな丸薬のみ。それも貴重な収入と思い、懐にしまう。丸薬の方は即座に口に含んだ。葵にも渡して、またすぐに前へと歩を進める。
 走っていれば疲れもたまる。ただ弱い鬼を切り捨てながら、走った疲れを引剥いだ丸薬で癒したとて、手に残るのは小銭が何枚か、それだけだ。まだ町中へ出てイツ花の刀を売りに出す方が幾分か金になるかしれない。こんな事をしている場合ではないのだ。すぐまた目の前に影がちらつく。今度は葵がいち早く動いて、幾人かの影を斬り飛ばした。討ち漏らしたうちの一体が、こちらに飛んできて大鋏を振り回す。上手くよけきれず、小さくかすって傷が出来た。しびれるような痛みとともに、少し動きにむらができる。この程度の雑魚にかまっている暇はないというのに。俺は脚に力を籠めて、一気に目の前のそれに肉薄した。鬼が身をかばう隙も与えず切り伏せる。身を改めても、やはり小銭と丸薬。この鬼を相手取るのにまた無駄な時間を使ってしまった。

 その刹那、後ろで小さな音がする。背後の気配に今の今まで気づかなかったことに怖気が走る。無理に体を回転させ、後ろに身を引く。刀に手をかけ、いつでも抜ける様に身構える。しかしまたこれで時間を無駄に使ってしまっては、ただこうしているだけで今月が終わってしまう。食糧が尽きれば、流石にここに居続ける事は出来ない。日没まではどれくらいある?俺たちは果たして前へ進んでいるのか? 同じところをぐるぐる回っているだけなのか? いやそれよりも、目の前の鬼に集中しなければ——

 「ねえ、お父さん、待ってよ……」

 しかし、影が発した声は、俺の予期した鬼のものではなかった。一緒に身を引いたと思っていた葵が、道を追いすがってきたのであった。いつ、はぐれてしまったのだったか。全く気が付いていなかった。

 「葵か、ごめんな。おいていってしまったか」
 「うん……大丈夫だけど……あのね、お父さん。もう月が終わるよ。鐘の音、するもん」
 「……鐘の音……?」
 「京から聞こえてくるよ。もう十六日目の日が落ちる音。帰らないと」

 耳を澄ませても、聞こえるのは長雨の響く静寂のみ。ただ、葵は耳の聡い子だ。日も間違えることはないだろう。つまるところ、私達の九重楼討伐は雨に翻弄されたままに終わったということだった。せめて分捕りものの一つでもあれば、来月家に来る子に何か渡してあげるものがあっただろうに。

 「……濡れて、終わっちゃったね」
 「……ああ」
 「また次の討伐で、次の子のお土産は持って帰ろうね」
 「そうだなあ」
 「お父さん、私もいるよ」
 「……ああ、すまない」

 葵がきゅっと手を握ってくる。この前まではしっかり俺の掌を掴むこともできなかった小さな手が、今ではしっかりと包むように手を握ってくる。こんな呪いがなければ、俺の手はもっと葵の手よりも大きかっただろうに。無理に掌を握っているのは、何も手だけではないのだ。その瞳が、心が、脳が。あるいは手にする薙刀が、と言ってもいいだろうか。精一杯に私の掌を対等に握りしめようとしている様を見ていると情けなく、同時に余りに不憫だった。

 何とか帰り道を見つけ、這う這うの体で帰還した。その最中にも、雨はやまなかった。