垣根の垣根の百物語

PSP俺屍Rの自分の一族とか某inb氏の一族の話とか ネタバレあります。

誠実と愛欲——1018年 7月

琳太郎交神。水母ノくらら様と。葵が千種に訓練をつけている裏。

 

 

 父も、このような思いをしていたのだろうか。

 
 この白い、何もない部屋に入るのもこれで二度目になる。前にお蛍様の言っていたことが本当ならば、ここは自らの魂が他と溶け合う空間であるようだ。霊氛となった魂は神のそれに触れ、また新たな魂を成す。戦いの中で俗化した魂がここで濾過されるからこそ、溶け合う中にも俺の魂は判然とする。ここにあるものこそが自分であると、魂であると、知るに至る。
 であれば、俺の方から目当ての神の魂を探り当てる事も出来よう。かつて触れた二人の魂も、混じりけの無い清らなものだったはずだ。目を閉じて、彼の神のことを想う。
 ふっと小さな手ごたえがあったと思うと、俺の体は何かひんやりとしたものに包まれた。見れば水の中であった。座っていたはずの俺は、水中の、小さな屋敷のような場所の、その周りを囲う簀子に立っていた。しかし、息は苦しくない。見上げた先から光が差し込み、空が変わらずに水の中までを照らしていくことが分かった。泳ぎゆく生き物などは、見ただけでも俺が知るより遥か様々であり、それぞれがそれぞれに空の光を身に受けていた。推し量るに、うまくいったようだ。
 そんな中に、何か見たこともないような生き物が漂っているのを見つけた。いや、果たしてあれは本当に生き物なのだろうか。それはどこへ行くでもなく、ただふらふらと浮かんでは沈んでいた。ふらっと動くたび、日の光に反射して小さく揺らめくのだ。その揺らぎだけが、あれを命に見せていた。

 「ようこそいらっしゃいました。わざわざご足労いただかなくても、私のほうからお迎えにあがりましたのに」

 後ろから声をかけられた。いつからそこにいたのか、そこには一人の女が佇んでいた。彼女――水母ノくらら様は市女笠を被り、余所行きの服を着て、ちょうどどこか修験にでも行くような恰好だった。少なくとも、自らの家でくつろぐような恰好には見えなかった。

 「いえ、私が出向くべきでしたから。……この度は、願いにお応えくださいまして、本当にありがとうございます」
 「そんな……お礼など、言わないでくださいませ。私は礼を言われるような身ではございません」
 「しかしあなたのご協力がなければ、私どもは夢を夢見ることもできぬものです。礼を言わずして何になりましょうか」
 「……そうでしたね。申し訳ございません」

 彼女は深く頭を下げた。俺にはそうまで畏まる意味がよくわからなかった。慣れぬ場での慣れぬ振る舞いが気まずく思え、俺は話題を探した。

 「どこかにお出かけするところでしたか。間が悪かったでしょうか」
 「ああ、いえ、そういうわけではありません。旅に出るのは私ではありません。私はただ、すぐそこまで送り出しているだけですから」
 「それでは、やはりお邪魔だったのでは」
 「今はいいんです。この時が終わるまでは……こちらへ」

 くらら様はそう言って、ちらと先ほどの光を見やって、奥の部屋へと入っていった。
 室内は静かで、明かりが差し込んでいるわけでもないのに隅々まで見渡せた。

 「一人で住む家です。手狭でしょう」
 「私にはちょうど良いくらいです。あまり広い部屋は、細かいことが気になっていけません」
 「それならよいのですが。……殿方をお迎えする格好としては、些か不躾ですね。着替えてまいりますので、少し待っていてください」

 そういってくらら様は次の間へと出ていった。ふすまが閉じられ、静寂が訪れる。
 着替えといってもすぐに終わるものでもないだろう。閉じられた戸の向こうからは絹が床に擦れる音がさあさあと聞こえてくる。彼女の気配をこのまま感じながら座っているのも申し訳ない感じがして、俺は所在なく部屋を見回した。いくら小さいとは言っていても、無限を生きる神の部屋だ。必要なものが一通りそろっているようであった。簡素な文机は日用の趣きがあり、その上には源氏物語が一帖置いたままにされていた。伏籠の中で香が焚きしめられており、血にまみれた日常では感じぬような、何か不思議に甘い匂いがした。
 と、几帳の傍に何かが置いてあるのに気が付いた。近づくとそれはでんでん太鼓であった。随分と使い込まれていて、表の模様はもうほとんどかすれて見えない。使うような幼子がいるはずもないが。無造作に置かれたそれは、用途も相まってこの部屋の中にぽつねんとして違和感を作り出していた。
 ふと、先ほどの彼女の表情が思い出された。部屋に入る前、殿の外を見やった視線――水に漂う小さな光に目を向けた一刹那、くらら様はまなじりを緩ませながらも、どこかに憂いある表情をしていた。その表情は、前にもどこかで見たことがあるような気がした。
 その時、するりと音がしてふすまが開いた。くらら様は先ほどの垂衣から、小袖だけの簡単な装束に着替えていた。薄着の襟元から鎖骨がのぞいていた。日の光が届くといっても、そのまま熱に射されないような場所にいるからだろうか、それは白磁のように透きとおって見えた。

 「お待たせいたしました。……どうかしましたか」
 「ああ、いや、そこにでんでん太鼓が落ちていたものですから。お子などがいるのかと」
 「……私には、自らの腹を痛めて産み落としたような子はおりません。それは、私があの子たちを送り出すためのものです」
 「あの子たちとは、外の光のことですか」
 「はい。彼らは水母の子。産まれないままにその生を終え、浮かばれず、沈むような恨みもなく、ただ漂うだけの魂です。私は彼らの母として、次の生へと向かえるようにつかの間の幸せを与えます」

 それは、子がぐずるのをひたすらになだめ続けるというようなものなのだろう。成長する間もなく旅立つ子を、ただひたすらにあやしては送り出していくなど、俺にはとてもできないと思った。葵も千種も、今大きくなって傍にいてくれるからこそ、子らを守る剣も振るえよう。二人が戦いのさなかに斃れたとして、俺は次の子を作り、悲願だけを見据え続けられるだろうか。容易に想像される未来は、俺がここに来た理由を揺るがすものだった。

 「私は、あなたに残酷なことを頼んでしまったでしょうか。いつ死ぬともわからない、短命の子を残すようになどと」

 あるいは、そんなことはもう慣れているのだろうか。神にとって俺たちの寿命などは須臾にも等しいだろう。ただ水子を供養するときと同様に、刹那の間に朽ち果てた我が子をも供養するというだけの話なのだろうか。

 「いいえ、そんなことはありませんよ。私は今までずっとこの水底で沢山の子を見送ってきました。その中には望まれなかった子もいます。多くの期待を背負いながらも、それに応えられなかった子もいます。私は生まれなかった魂の悲哀を知っています。だから私はあなたに子供を持ってほしいのですよ。子を抱えられるのは幸せなことです。交神のお話が天界に上ったとき、私は是非あなた方のお力になりたいと思いました。子を失う悲しみをしか背負えぬ私が、子を持つ喜びを与えられるならば、それは幸せなことだと思ったのです」
 「天界から離れてしまえば、あなたが二度見ることもかなわぬ子だったとしてもですか」
 「ええ、もちろんです。子を失った親の悲しみはほかに語るものがありません。……ですから、私に少しでもできることがあればと、そう思うのです」

 この人がそれほどに深い覚悟を持っているとは。俺が次こそはと覚悟を抱えなおして交神に臨むたび、神々は俺など及びもつかない心を持つように思う。神に対して誠実であろうとする心の動きなどは、傲慢なものなのかもしれないと思った。

 「でも、それも言い訳にすぎません」

 彼女の声が急に柔らかくなった。思案を放って初めて、彼女がよほど近くにいることに気がついた。

 「私は、あなたにお会いするためにここにいます。あなたが私を選んでくださったその時から、あなたが来る日を心待ちにしておりました。……ねえ、どうして私をお選びになったんですか」
 「それは」
 「力を貸すだけなら、先の二人でもよかったわけでしょう?」
 「ただ、沢山の神々の力をお借りしようと」
 「それなら、私より適役はいくらでもいます。私だって、それほど力の強い神ではありませんもの」
 「……」
 「ねえ、どうして」

 彼女が顔を寄せる。先ほどは笠に隠れて見えづらかった瞳がこちらをまっすぐに見据える。透き通った肌に目を奪われた。

 「私は……あなたを見て、ただ、美しい、人だと」
 「……そう。うれしい」

 くらら様はそう言ってさっと身を引いた。視線がその白い首筋の幻影を追った。

 「いけませんね。あなた方に協力するのが神たる私の役目だというのに。……でも、神である前に女ですもの。このようになせぬ恋に身を焦がすのも、道理ではありませんか」
 「すぐに身を滅ぼしてしまうような私が、あなたにできることなど……」
 「私は水子の母。もともと救われえぬ身です。どうか、お救いくださいませ」

 彼女が緩慢な動きででんでん太鼓を拾い上げる。俺はその指先の細かな挙動も、小さな息遣いも、決して逃さぬほどに目を離せずにいた。そうして、ゆっくりとふすまを開けた彼女が、それを次の間においた。戸が閉まる。刹那、俺は彼女の背中を抱きすくめた。


 俺は、罪の中にいた。
 ただ目の前の女を愛し、貪り、耽る。一族を背負ったその最中に、一度として葵や千種のことを思い出すことはなかった。
 魂がとろけ、混ざり合い、ただ互いを呑み込まんばかりに、波のごとく押しては返すその営みを繰り返すごとに、自らの罪を知っていった。
 三度目にして、彼女たちとの睦みが、またそのような意味合いを持つのだなと思った。
 俺を根底から貫く誠実なる罪は、ただこの一瞬の快楽が増せば増すほどに形をとっていった。皆を愛することによって、誠実となす。口ではそう嘯きながらも、目の前のこの女を求めるための方便であった。俺は性愛に溺れることすらも言い訳をしなければならないのか。しかし一方では、この不浄を脱ぎ捨て霊氛となった身において、俺は今の自分が真の自分の一人であると悟らざるを得なかった。
 ただ返す波を欲する彼女の腰をかき抱いた。

 「名前で、お呼びくださいませ」

 そう言う彼女の口を自らの口で塞いだ。何度もその名を呼びながら、何度も名を呼ばれながら、たった一つ駆け上がってくるような感覚を求めて、遥か昔より決まった動きを繰り返した。
 愛欲とはまた誠実とはかけ離れたものであり、それがゆえに人も、神も、互いを求めるのだと知った。


 そうして、俺はただくららを抱きしめていた。誠実な愛欲という二律背反の中に立ちながら、そのまますべてを終えた。どうでもよくなるような倦怠感と虚脱が去来したとき、腕の中の彼女を見た。神だというのに存外華奢で、柔らかい表情で眠っていた。動く気も起きないというのに、俺は彼女の唇にそっと手を触れた。先ほど夢中で合わせていた時ほどの絶望はそこにはなかった。
 くららが身じろぎをした。ゆっくりと目を開き、俺を見て笑った。こうしたところに、誠実はあるのだと思った。